ネコが布団の中に入ってくるようになりました。秋本番です。

苦手なことって何だろうって考えたらそりゃもろもろと出てくるわけで。そんな中真っ先にパッと出てきたのが「お片付け」である。

片づけたい気持ちはあるのに、片づけ方がわからない。

ネットでは「百均グッズで収納!」やら「生活感を隠す収納!」やら収納方法はごまんと出てくる。それを見てはふんふん、なるほどね…と頷いている。それなのに、わたしゃいつまでたってもお片付けができないでいる。

見せない収納をしてしまうと何がどこに収納されているのかまるでわからなくなる→無くなったと思って同じ物を購入してしまう→物が増える→ワオ!!

まずは物を分類する→分類先がわからない物で頭を抱え始める→もう嫌になる→ワオ!!

物をどこかにしまったら、その事を忘れて同じ物を買うパターンが多いと思う。しまうことをしなかったら、まあごちゃついてしまうよね…といった感じ。

そんなこんなでこまめになんとなくお掃除をする事でごみ屋敷になる事だけは避けている状況だ。

生きていくのに物が必要すぎる。

自分はかなりの無口なのもあり、仕事先では返事や業務的な対応以外の会話を自らする事はなかった。それでもこんな自分に雑談を何度もかわしてくれる人というのは居て、ありがたい反面大した返答をする事ができなくて申し訳ない気持ちにもなっていたっけ。相槌を打つかヘラヘラッと笑う事しかしない人間にどうしてこんなにお話ができるのかな、なんて不思議にも思っていた。私はもはや地蔵とかオブジェといった物に近い。でも、もしかしたら余計な事を一切言わないからよかったのかも…と謎の良いように受け取る思考も働く。話しかけてもなんの反応も無いとわかっていても、植物に話しかけてしまうアレと似たようなものなのかな。別にそれでもいいよ。今後もお話を近くでしてくれる人がどっかで現れるとうれしいなあ。

不気味だけどクセになる夢を続けて見てぞわっとする朝。どんな夢だったかちゃんと覚えているのは『両膝にだけなが~い毛がもじゃもじゃと生える夢』。うっ、文章で書いててもぞわっときます。

インターネットが普及し始めたころのネット上コミュニケーションの心地良さを思い出す事が多い。しんみりする季節だからなのかも。

むかしは いいね や RT といったものがなく、どう評価されているかがあまり際立って表面化されておらず、競争心や承認欲求が目に見えていなくて、そこに心地よさを感じていたのかもしれない。今のインターネットは他にもあらゆる人から監視されているような、少しでもボロを出そうものならば棒で叩かれそうな恐怖さえ感じてしまう。私はビビりなのでそういう痛い目にあったら落ちるに落ち込んでしまう。ここにはいいねもコメントもなんもできないのでとても心が穏やかにすきな事を書けている。自分で作った自分のための場所第一号。二号店の出店はどこにしようかまだ考えてるところ。